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Hashimoto Tsutomu Seminar Graduate Paper Samples

橋本努ゼミ
「これまでのゼミ内容」と「卒論」の紹介



  これまでのゼミの内容は、以下のようなものでした。

  コスロフスキー『資本主義の倫理』新世社、ラックス『アダム・スミスの失敗』草思社、ホジソン『現代制度派経済学宣言』名古屋大学出版会、ジンメル『社会学(上・下)』白水社、コーン『競争社会を超えて』法政大学出版局、大塚久雄『国民経済』講談社学術文庫、ヒックス『経済史の理論』講談社学術文庫、アーレント『革命について』ちくま学芸文庫、クカサス/ペティット『ロールズ』勁草書房、ブラウ『交換と権力』新曜社、山之内靖『マックス・ヴェーバー入門』岩波新書、高橋洋児『市場システムを超えて』中公新書、ロバーツ&ミルグロム『組織の経済学』NTT出版、John Davis, Exchange, ジンメル『貨幣の哲学』白水社、ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論』東洋経済、スミス『国富論』、D.フリードマン『自由のためのメカニズム』勁草書房など。
  このように本ゼミでは、経済学、社会学、政治思想などについて、主として理論的なものを共通のテキストとしています。この他に、一年に二回、個人発表があります。テーマは、「自由とは何か」です。自由主義、自由解放論、民営化論、知的財産権論、売春論、臓器移植論、教育改革論、自由恋愛論、報道の自由論、スローライフ論、消費社会論、貨幣論、官僚組織批判、自由の心理学、規律訓練批判、等々。このような論題を手がかりにして、個人発表では、自由をめぐる様々な問題を探究することになるでしょう。ちなみに、天才論とか幸福論とか学生論などの発表もなされています。テーマとなる課題を与えてほしいという方には、こちらで用意しています。
  また、大学院を受ける学生たちといっしょに、別のサブ・ゼミをやっています。英語の文献を読んだり、社会学や哲学系の本を読んだりしています。




橋本ゼミでは、卒業論文の作成に力を入れています。以下では2000年3月の卒業生のうち、二編を紹介します。一つは、「学部長賞」という、北海道大学経済学部における最高賞を受賞された山田健史氏の「卒業論文要旨」です。もう一つは、北洋銀行の懸賞論文において「優秀賞」を受賞した、板垣彰子氏の卒論の抜粋です。

 

山田健史

論題 「合理的選択理論における感情の導入可能性:Jon Elsterの所説の検討をとおして」

 本稿「合理的選択理論における感情の導入可能性: Jon Elsterの所説の検討をとおして」で検討される問題は、感情(emotions)は合理的選択理論(rational choice theory)に適合するものなのか、である。
 通常、「合理的」という言葉と「感情」という言葉は、排反的である。というのも、「合理的」という言葉は、理性に基づいている。ところが、「感情」という言葉は、そうではないと考えられているからである。こうした考え方は、社会科学理論家らにおいても人口に膾炙しているため、ほぼ社会科学理論全般においては、感情は蔑ろにされてきたか、あるいは辺境の地位に追いやられている。一方で、われわれの日常生活を鑑みたとき、行為の端緒としての「感情」の機能を否定するものはいないだろう。われわれの行為全般は「感情」が、その駆動力となっているとしても、決して言い過ぎではない。にもかかわらず、社会科学の行為理論において「感情」を無視することは、適切だとは言えないのではないだろうか。
 筆者のこうした関心は、エルスターという学者の著作によっていっそう喚起された。したがって、本稿では、この「感情」と「合理的選択理論」の融合可能性というアポリアに取り組んだ、エルスターの見解を考察することに、主眼をおく。
 このようなテーマを扱うために、筆者は論文構成を次のような4つの領域に分割することで、問題設定の意義を鋭角化した。すなわち、第一に「そもそも合理的選択理論とは何か」ということであり、第二に、「合理的選択理論において、エルスターに独自な観点は存在するのか。また、もしあるとすればそれは何なのか」であり、第三に「社会科学理論で考察される感情とはどのようなものであり、どのような領域・範囲を持って示されるのか」であり、最後に、第四として、どのようにして合理的選択理論と感情は適合するのかという「合理的選択理論と感情の融合可能性」の問題である。さらに、筆者の問題関心の中心にある第四の「合理的選択理論と感情の融合可能性」は、「感情はどのようにして合理的選択理論に組み入れられるのか」および「合理的選択理論に感情を組み入れることによる価値はあるのか、またあるとしたらそれは何なのか」という二つの点について検討される。前者は、一見対立して相容れないものと考えられがちな感情と合理性がどのような組み合わせであれば、首尾一貫した体系で、合理的な選択が行なわれるのかを提示することになるし、後者は、この一見相容れないものの融合という興味喚起的なテーマが、ただの興味深さという観点ではなく、じつは理論の整合性の観点から感情が必要なのだということを示さなければならないだろう。というのも、理論にとっては、被説明項をいっそう付加したとしても説明力に進歩が見られなければ、理論の簡潔性の観点から、それはないほうが好ましいという「オッカムのかみそり(Ockham's razor)」という原則があるからである。とすれば、感情を合理的選択理論に組み入れようとしたエルスターをはじめとする学者たちにとっては理論の構成にとって、感情がもつただならぬ意味を見つけだしたに違いない。本稿では、そのような点についての考察も行なう。
 ここで、本稿の構成と要約を提示し、全体の流れを概観しておく。第1章において、これから検討していく「合理的選択理論」とは、いったいいかなる理論なのかを概観する。そこでは、「合理的選択理論とは何か」と「合理的選択理論の限界にはどのようなものがあるか」という問いを立てて、前者に対しては、合理的選択理論は方法論的個人主義に基づき、目的−手段関係のもとで合理的に行為する個人の側面から社会を説明する理論とし、後者に対しては、合理的選択理論の適用に対して「アローの不可能性定理」や「戦略的相互行為」や「フリー・ライダー問題」などの観点から、この理論を普遍的に適応させるには限界があることが論じられる。
第2章では、「エルスターの合理的選択理論」を取り上げる。第1章に登場する代表的な合理的選択理論の論者が取り上げなかった観点として、エルスターは合理的選択理論において「欲求」「信念」という概念が行為に果たす役割を強調するとともに、合理的選択理論が破綻する状況として「非決定性」「不適切性」の存在を強調し、どのような代替案や弥縫策を持ち出しても、理性を捨てない限り、合理的選択理論がうまく機能しなくなる段階まで達するという、理論自体の限界が指摘される。
第3章においては、合理的選択理論における感情の導入についての準備段階として、感情それ自体について考察する。はじめに、「怒り」「悲しみ」「喜び」など感情にはどのようなものがあるか、そしてそれぞれの感情はどのように分類されるのかについて述べる。次に、感情とは何かという、感情の定義について述べる。それによれば感情たる要件は「行為傾向」「認知的前提」など全部で7つあるということが指摘される。
 第4章では、感情と合理的選択理論の融合について述べる。その際、意思決定や信念形成における感情の役割についてデ・ソーサやダマシオなどの見解をもとにして、合理的な行為のためには、むしろ感情の存在が有用であることが指摘される。次に、合理的選択理論における行為過程で、感情はどのように合理的選択理論に入り込むのかについてエルスターの見解を紹介をする。これは、主に行為の欲求形成において感情の行為における役割を強調する。しかし、エルスターは、感情と合理性について、その適合可能性について必ずしも全面的な賛成をせず、むしろ揺らぎがあることを提示し、それは部分的には感情研究がまだ発展途上にあることが指摘される。
 第5章では、結論と今後の展望について述べる。そこではエルスターの感情を組み入れた合理的選択理論の意義と限界を結論として述べるとともに、残された課題を提示する。



板垣彰子

論題「 「最適通貨地域の理論」に関する一考察: 通貨地域の動学的分析モデル」

目次: 0 はじめに
1 望ましい通貨システムとは
 1)望ましい通貨システムの厚生基準
 2)現通貨システムの問題点
 3)通貨地域形成の利点
2 「最適通貨圏の理論」―― 歴史的変遷と展望
 1)固定相場制擁護論としての理論
 2)通貨地域の基準
 3)参入決定の理論
3 通貨地域の動学的分析
 1)コスト・ベネフィット分析再考
 2)通貨地域の動学的発展モデル
4 おわりに

0 はじめに
 国際通貨システムとは、「公的部門・民間部門による国際金融取引を規定する公式・非公式のルール・慣行・慣習」[Cooper 1987] と定義される。2000年初頭現在、日本を含め主要先進諸国は変動相場制を採用する一方、途上国を中心に他の多くの国々では固定相場制など為替レートの安定を尊重した通貨制度を採用している。しかしながら、現在の通貨システムは92年の欧州通貨危機、97年のアジア通貨危機など不安定な様相を示している。
 その中で1999年から始まったユーロ通貨の成立を受けて、アジアにおける円を中心とした通貨圏の設立という議論が高まっている。これは、ドル・ユーロ・円の三極通貨体制を念頭においていると考えられる。他方では円を基軸通貨としたアジアの通貨圏設立について、最適通貨地域の規準をもとにアジアは不適合であるとした否定的な意見もみられるが、これらの議論における最適通貨地域の規準とはいったいどのような根拠をもつのであろうか。
そこで本稿では、最適通貨地域の理論をサーベイし、当理論の現段階における限界を明らかにする。そしてその限界を超えてより有意な発展を進めるために、通貨地域成立における動学的分析を行なう。単一通貨の導入から域内単一中央銀行の設立まで、通貨地域の動学的発展モデルを用いながら各国の直面する便益・費用を詳細に検討する。そこから、従来の便益・費用アプローチによって与えられていた、通貨地域参加点が経済統合度によって決定されるという説を超えて、通貨地域の参加点とは時間軸における各国の期待便益が期待費用と等しくなる時点である、と結論する。
本稿は次のように構成されている。第一に、望ましい通貨システムを規定する際の基準を明確にし、最適通貨地域から構成される通貨システムをその基準の下で評価し、理論が固定相場制擁護論に立脚することを明示する。第二に、最適通貨地域の理論の系譜を考察する。はじめに最適通貨地域の規準とされている伝統的アプローチを検討し、次に、通貨地域参加の便益・費用アプローチを考察する。第三に、通貨地域動学的発展モデルを想定し、便益・費用アプローチをより発展させることによって時間軸に伴う便益・費用の変化を詳細に分析する。最後に、通貨地域としてのアジアについて検討する。

4 おわりに
 本稿では、最適通貨地域の理論に焦点を当て、理論が説明しうる限界と対処すべき問題を明確にし、理論をさらに展開させることを試みた。その際、Krugmanによる費用・便益曲線の図を発展させて、時間の推移に伴って各国が負担する費用と便益を動学的に分析した。特に、通貨統合が経済統合を促進することに注目し、従来の便益・費用アプローチのように、通貨統合の基準として経済統合度を要求するのではなく、通貨統合が決定される時点が各国の「期待便益=期待費用」の成立するときであることを提示した。
 従来の最適通貨地域の理論は発展する余地を与えており、本稿は理論に新たな一展開を加えることをその目的としたが、本稿の試みは更なる展開が必要である。将来的にこの理論に求められることは、各国の期待費用・期待便益のより詳細な分析であり、また仮定において所与とした通貨統合と経済統合の関係についての実証的な研究である。それは今後の課題としたい。最終的にこれら一連の研究を、通貨地域としてのアジアを対象としたより現実に即したものに発展させることを望んでいる。
 ところで、現在のアジアにおいて通貨地域の成立は可能だろうか。従来の研究では次の二つをいうことができる。
第一に通貨地域を形成するには、各国が通貨地域形成の意思を持つことが必要である。しかし、アジアにおいて日本以外の国から通貨地域形成の議論が生まれていない。それは日本主導のアジア経済圏成立が、大戦時の日本による政治的なアジア支配と重ねて解釈させやすく、日本以外のアジア各国にとって政治的抵抗感があるからだといわれる[Goto and Hamada 1994]。したがってアジア経済圏成立には、通貨地域を形成することの様々な利点から、各国が通貨地域形成を進める意思を持つことが必要になる。
第二に、経済構造の対称性を高めることが必要である。経済構造の対称性が高いことの必要な理由は、ある経済ショックに対して通貨地域内の各国が同様の経済政策を用いて対処する必要があるからである。ここでアジアの経済構造における対称性の差異を、インフレ格差の指標からしめすと次のようになる。(図は省略)出所)関[1992:278] 表12-3より作成 
 
上のグラフより、フィリピンやマレーシアを除きインフレ率はおよそ0-10%前後にあり、インフレ格差は大きいと見ることができるだろう。アジアは開発途上国である国と日本のような先進国が混合している。だから各国によってインフレ率のほか、成長率、投資率などに格差がある。それらの格差にもかかわらず、各国の経済政策を犠牲にして通貨統合を進めることは、途上国にとって大きな負担となるだろう。
 その他、アジアにおいて経済構造の対称性は、貿易構造、政策目標の同質性などの点において、低いといわれている[関 1996:286]。
 アジアにおける通貨地域の議論は、完成された通貨統合・経済統合の状況に突如に移行できるならば、確かに望ましいものである。しかし現実には、通貨統合にあたって各国は不況・高失業などに悩まされる段階を経た後にのみ、通貨統合がなされるだろう。多くの問題が生じることは確かである。本稿三章のモデルに即していうならば、アジア各国が通貨地域に伴う期待便益を高く測るような状況において、将来的に通貨統合が成立する可能性は確実に存在する。アジア各国にとっての期待便益が具体的にどのように測定され、またどのようにして期待便益の高まる状況が生じるかについて、現段階では明確な解答を与えることはできないが、本稿ではこの問題を将来の研究課題として譲る。
 通貨統合の議論は理想主義的であるが、しかしながら世界の貨幣経済が、各国の政治的思惑から独立して中立的に運営されることが可能ならば、世界経済機関として非常に有効に機能する可能性を与えるものである。先進国中心の国際金融市場における動向が、先進国のみならず途上国に影響を与えることを考慮すると、国家を超えた通貨管理を目指す通貨地域の理論は、この先さらなる発展が求められることになるだろう。